先祖、水子をはじめとする供養回向
家内安全、牛馬繁栄、厄払い、諸願成就の祈願祈祷
山岳信仰の対象であった大山が寺として本尊地蔵菩薩を両部習合の習しにより大智明大権現となり、今からおよそ1100年ほど前に天台宗に列し一大霊場となります。
戦国乱世の世にあってもその勢力を保ち、江戸時代には3000石の寺領を得て、中国地方の屈指の大道場として法灯を守ってきました。
明治初期の神仏分離により大山寺号が廃止され急激に頽廃するにいたり、往時の姿は失われ、そここに残された石垣や屋敷跡から当時の隆盛の姿を知ることが出来きます。
養老2年(718年)金連上人により開創せられ、地蔵菩薩を本尊として祀ります。
慈覚大師が引声阿弥陀経を伝え、貞観年間に天台宗に列し、承安年間に本堂焼失、豪族紀成盛によって再興します。
大永年間は諸堂ことごとく焼失。天文21年(1552年)常行堂再建にはじまり諸堂も復旧されます。
その後尼子、毛利氏の多大な寄進を受けるが、僧規の乱れが衰運を兆しはじめました。
徳川時代に至り豪円によって寺門の興隆がなされ、家康公に請願して慶長19年(1614年)3000石の寺領を得て、三谷四十二坊の制をしき寺勢を回復しました。
宝永7年(1710年)より日光宮公辯法親王学頭に就任し、日光宮の大山寺御兼摂となり本坊西楽院に留守居僧を派遣されることになります。
明治維新に至り戊辰の影義隊はたまたま大山寺主職たる日光宮北白川能久親王を擁したため、一時朝敵なる地位にたち、対立していた鳥取藩は王政復古の流れに乗じて大山寺一山寺院に苛列な処分をなし、明治4年大政官布告により寺領は没収され、本尊を大日堂に移し内務郷の許しで寺門を維持し、明治36年寺号復活なるも七堂八社四十二坊も三堂十坊となります。
それぞれの社寺の名前、教えに因む文字が書かれた「朱印(しゅいん)」を、神仏霊場巡拝の証として授与いたします。
また朱印には、同様の文字などが刻印された「護縁珠(ごえんじゅ)」という木製の巡拝記念の珠が一個付与されています。護縁珠は、朱印に付与されるもので、単体で授与することはありません。
節分会 2/3 10:00~ 大般若転読
春季大祭 5月第4日曜日 10:00~
御幸(みゆき)平安時代から昭和初期まで続いたものを復活
施餓鬼会 8/15 13:00~ 阿弥陀堂で法要
採灯大護摩 10/24 11:00~ 天台修験道による法要、稚児行列を含む
山内の旅館40軒近くあり(宿坊は2軒)
【研修会や体験もの】
座禅 写経
【お食事名物】
山菜料理
【バス】
JR米子駅より50分
【車】
米子インター入口より大山観光道路へ 車で約20分
【駐車場情報】
公営の駐車場利用(冬期以外無料)
〒689-3318 鳥取県西伯郡大山町大山9
TEL:0859-52-2158 / FAX:0859-52-2728
【参拝時間】8:30 – 17:00(上記以外の時間はお参りは出来ますが、職員の対応はありません。)
【ホームページ】http://www.daisenji.jp