御神徳・御利益

厄払い、延命長寿の観音様

用明天皇二年(587)尊隆上人によって開かれました。

当時この山は一滴の水も出ませんでしたが、一週間祈願したところ水が湧出し、しかもその水が雨期にも濁ることなく、乾期にも枯れることなく常に清い水を湛えたところから清い水の出る寺、清水寺と命名されたと伝えられています。

ご本尊には推古天皇が瑞夢に厄ばらいの霊験あらたかを感得されたと云われる十一面観音様をお祀りし、ご祈祷をする寺として、厄ばらいの観音様として祟められ、毎年厄年に当たる人たちを中心に信仰を集めています。

早くから朝廷や多くの豪族の信仰を受け栄えてきたが、盛時には四十八坊を数えたと云います。

残念ながら尼子と毛利の戦いに巻き込まれ毛利に全山を焼かれるも、勝った毛利家、江戸時代に入って松江藩主歴代の庇護を受け、今日の伽藍に再興しています。

また、1400年余の歴史と伝統の中で多くの文化財を有しています。

国指定の重要文化財5件、県指定の文化財8件。特に三重塔は山陰唯一であり、清水寺のシンボルとなっています。

また当寺の四季は素晴らしく、特に春の桜・新緑と秋の紅葉は絶景です。

縁起

厄ばらいのお寺として慕われる清水寺は、今を去る千四百余年前、用明天皇即位二年(587年)尊隆上人によって開かれたお寺です。

開基以前のこと、山頂に瑞光現れ、その光明を因として山を瑞光山と号し、また湧出する水の清く霊なるをもって清水寺と名づきます。

その後推古天皇瑞夢に清水の観音、厄除けの霊験あらたかを感得され、信を起こして鎮護国家の道場となし、斎田を勅して堂塔伽藍を賜りました。

その後堂舎荒廃し、平城天皇の勅を仰ぎて中興開山盛縁上人復興に尽くし、大同元年(587年)七堂伽藍を完備し、中国随一を誇ったといいます。

承和十四年(847年)十一月、慈覚大師(天台座主円仁)唐留学の帰路、当山に立ち寄り、光明真言の秘法を伝法、これを機に天台宗となります。

その後再三火災に遭うも、明徳四年(1393年)四月、再び大伽藍を復興、今日の寺景をつくります。

戦国時代に入るや尼子と毛利の戦いに巻き込まれ、毛利によって焼き討ちを受け、根本堂のみを残して全山灰尽となるも、毛利家そして江戸時代に入るや松平家代々の庇護を受けて今日の伽藍に復興しています。

山陰随一の三重塔は安政六年(1869年)1万人講を組織して和尚二代、大工三代の彼岸の末完成しました。総欅造り。

御朱印

朱印料 金500円(護縁珠が付与されます)

それぞれの社寺の名前、教えに因む文字が書かれた「朱印(しゅいん)」を、神仏霊場巡拝の証として授与いたします。

また朱印には、同様の文字などが刻印された「護縁珠(ごえんじゅ)」という木製の巡拝記念の珠が一個付与されています。護縁珠は、朱印に付与されるもので、単体で授与することはありません。

護縁珠について

護縁珠について

主な祭事

還誕祭 4/29~5/5
4/29を清水寺の開山日として、毎年その開山日を祝う

萬燈会 10月下旬
境内におよそ3000個の灯明を点して、せん仏供養を行う

光明真言会 10月第3日曜 14:00~
慈覚大師伝授の光明真言の秘法でもって、土砂を加持し
死者の霊をとむらう。

大梵焼祭 12/17 9:00~12:00
一年間お護りいただいたお札、お守り、縁起物に感謝して、
天空の浄土に返し、来る新しい年の幸運を祈る。

授与品

宿泊施設

境内に「紅葉館」、「松琴館」、「ゆう心」有り

食事処

清水精進料理
上記宿泊の三館で食事可
名物・お土産:清水羊羹

交通アクセス

【車】
米子から10㎞ 安来から4㎞ 交通標識有り

【駐車場情報】
大型バス20台 普通車150台

清水寺

〒692-0033 島根県安来市清水町528

TEL:0854-22-2151 / FAX:0854-22-2107

【参拝時間】
開門:4月~10月 6:00 / 11月~3月 7:00
閉門:4月~10月 18:00 / 11月~3月 17:00

【ホームページ】http://www.kiyomizudera.jp/

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