眼病平癒、当病平癒、子供の無事成長。
その他 家内安全、身体健全、安産、学業向上、子授、交通安全、商売繁盛、心願成就、先祖供養、水子供養、厄除。
一畑薬師は、出雲神話の国引きで名高い島根半島の中心部、標高三百メートルの一畑山上にあり、「目のお薬師さま」として、古くから全国的に知られています。
千三百段余りの石段(参道)でも有名で、宗派は禅宗(臨済宗妙心寺派)、また一畑薬師教団の総本山として全国に約五十の分霊所があります。
創開は、平安時代寛平六年(八九四)、一畑山の麓、日本海の赤浦海中から漁師の与市が引き上げた薬師如来をご本尊としておまつりしたのが始まりで、与市の母親の目が開いたり、戦国の世に小さな幼児が助かったことから、「目のやくし」「子どもの無事成長の仏さま」はじめ、諸願に霊験あらたかなお薬師様として篤く信仰されています。
武家の時代には歴代の領主の祈願所として寄進・安堵を受け、ゆかりの品々も数多く残されています。
全国から年間七十万人余の参拝があり、日々のご祈念、例月祭、座禅会、団体研修、茶会、奉納音楽祭など年間を通してさまざまな行事があります。
今からおよそ1100年前の寛平6年(894)、一畑寺の麗、日本海岸の坂村に与市という漁師がいました。
盲目の母親と二人暮らしであった与市は、ある日何気ないことから金色に輝く薬師如来を海中より引き上げました。この後、与市の家には不思議なことが相次い
で起こり、夢に薬師如来のお告げを受けました。
与市は、母親の眼病を治すために、千把の藁を身にまとい、近くの百丈が滝から飛び降りてお告げを実行しようとしました。
村人はこれをなだめ、母親もこれを聞き、何とか思いとどめさせようと無我夢中で走り出します。
果たして与市は飛び降り、千把の藁はバラバラになって転げ落ちていきました。
気がついてみると、大きな石の上に安座した与市の体に怪我はなく、我が子の身を案じて駆け寄った母親の目はしっかりと開いていました。
その後、与市は、目の前が開けたこの地を選び、四間四面のお堂を建てて如来をご安置し、自らは比叡山に上り出家をして名を補然と改めました。
寺はもともと医王子と称し、天台宗でしたが、正中年間、禅風と共に臨済宗に変わり、一畑寺と改名しました。
以来、疫病平癒の勅命を頂いたり、尼子、毛利、京極、堀尾、松平と代々のこの地の大名から寺領を受け、加護も賜りました。
ゆかりの品々も多く、寺宝として今日に伝えられています。長い歴史を通じて、お薬師さまの御利益を信仰する沢山の人々の力によって守り伝えられた信仰の寺なのです。
それぞれの社寺の名前、教えに因む文字が書かれた「朱印(しゅいん)」を、神仏霊場巡拝の証として授与いたします。
また朱印には、同様の文字などが刻印された「護縁珠(ごえんじゅ)」という木製の巡拝記念の珠が一個付与されています。護縁珠は、朱印に付与されるもので、単体で授与することはありません。
【社寺の名称】
医王山 一畑寺(いおうざん いちばたじ) 通称:一畑薬師
【所属・宗派】
(1)臨済宗妙心寺派 (2)一畑薬師教団総本山
【御本尊】
薬師瑠璃光如来(本尊)、他に観音菩薩、釈迦如来など
【御開創】
寛平六年(AD894) (元は天台宗)
【御詠歌】
目のくもり やがて晴れゆく 医王山 これぞ日本 一畑の寺
神役(しんやく)、ようかさん 毎月8日
修正会・初詣 大晦日~正月3日
開運星まつり(年最初の「ようかさん」) 1/8
春季大祭・花まつり・眼病平癒当病 4/8
平癒特別祈願祭
二才児まつり・四才児お礼まいり GW期間中
八万四千仏供養祭 6/8
盆供養祭 8/8
夏休み子ども体験道場 8月後半の1泊2日
一畑薬師茶会 9月第一土曜日曜
秋季大祭・おえしき・眼病平癒当病 9/8
平癒特別祈願祭
めがね供養祭 11/8
古札供養祭 12/8
眼身守(がんしんまもり)
こどもまもり
勝守
合格御守
境内に宿坊「一畑山コテージ」あり
参道や周辺にお食事処あり
【車・タクシー】
松江市内から25km30〜40分
【JR・バス】
JR松江駅から
①バスで10分
②一畑電鉄で(一畑口駅へ)20分
〒691-0074 島根県出雲市小境町 803番地
TEL:0853-67-0111 / FAX:0853-67-0115
【参拝時間】8:30 – 17:00(上記以外の時間はお参りは出来ますが、職員の対応はありません。)
【ホームページ】http://ichibata.jp/