御神徳・御利益

家内安全、子孫繁栄、良縁、陸海路交通安全、農業・漁業の繁栄、商業・畜産の繁栄、諸障退散、病疫平癒、延寿長命

須佐之男命が諸国を開拓し須佐の地にこられ、最後の国土経営をされ、「この国は小さいけれどよい国なり、我名を岩木にはつけず土地につける」と仰せられ大須佐田、小須佐田、を定められたので須佐と言う、と古書に見えています。

命がこの地に一生を終えられてから二千幾百年余、その御神德は今日まで及び、社頭に身を糺す思いです。

石の鳥居をくぐり、玉砂利を踏み、豊富に湧出する「塩の井」に身心を清め神前に額ずく。千古の面影をとどめた境内の樹木の中にそびえる御本殿の千木の髙さは十二メートル余り。

代々の国守が建立勧請した御本殿は、須佐の鎮めとして鎮ります須佐大神の御盛徳に、思わず頭が下がります。鳴らす拍手も木魂(こだま)をかえして森厳まことに深いです。

巡りて 社殿の後に至ると、天を摩する老杉あり。周囲七メートル余り樹髙二十四メートル余り木肌の一つ一つに千数百年の世の盛衰栄枯の歴史を秘め黙して語らず。近在まれに見る巨木です。

社殿の西を流れる素鵝川の、その清冽な流れのせせらぎは、太古のままを奏で、古文書が伝う稲田姫を祀る分社(天文年中に本社へ合祀・・現在、ゆかり館前の社址地に剣が埋めてあると古老が語る)へ渡る黒木の橋を移して流れたであろう名残を止めて今も澄んでいます。

縁起

出雲風土記に、この国は小さい国であるがよい処です。それで自分の名は岩木にはつけない、土地につけると大神が仰せられて大須佐田、小須佐田を定められ、自分の御魂を自ら鎮められたという意が書かれてあり、即ち、須佐之男命の御終焉の地として御魂鎮の霊地、又御名代としての霊跡地であり、大神の本宮として大神奉祀の神社中殊に深い縁を有しています。

須佐之男命の御本宮として古くより須佐大宮、天文年間には十三所大明神と言われていました。

出雲の大宮と称えられ、朝廷をはじめ累代国守、藩主、武将の崇敬は申すに及ばず、世人の尊敬は厚く、社殿の造営は、武将、藩主によって行なうのを例としてきました。

明治五年郷社に、明治六年県社に、明治三十二年国弊小社に列せられ、第二次大戦の終戦後は別表神社として今日に至っています。

須佐之男大神が御魂を鎮められた須佐の宮地を守る稲田の首(いなたのおびと)に稲田姫命の両親、足摩槌命、手摩槌命を任ぜられてより須佐宮司家は国土開拓に功ありし国つ神の末裔として、古き世には国造に命ぜられており。

それより、今日まで須佐宮司家は連綿と続いており現在の宮司は七十八代目です。

御朱印

朱印料 金500円、護縁珠 金500円

それぞれの社寺の名前、教えに因む文字が書かれた「朱印(しゅいん)」を、神仏霊場巡拝の証として授与いたします。

また「護縁珠(ごえんじゅ)」という木製の巡拝記念の珠をご用意しています。

護縁珠について

護縁珠について

主な祭事

歳旦祭(さいたんさい) 1/1
新年を向えた、国家安泰、世の平安を祈る祭り

節分祭(せつぶんさい)  2/3
蘇民将来の古事にならって「茅ノ輪」を授ける

祈年祭 2/17
この年の農業、漁業の豊年 商業の繁栄を祈請する祭り

例大祭 [朝覲祭](ちょうきんさい) 4/18
朝覲祭・・本社より天照社へ渡御、神饌を供して祭典する行幸の神事

例大祭[古伝祭](こでんさい) 4/19
陵王舞神事(りょうおうのまいしんじ)・・修理固成耕田播種の舞楽の神事
百手神事(ももてのしんじ)・・悪魔退散、五穀豊饒を祈る神事

切明神事祭(きりあけしんじさい) 8/15
花を飾り花に神を迎えて秋の豊作を祈る神事一般に念仏踊りと云い県無形文化財

新嘗祭(にいなめさい) 11/23
新穀を供して感謝報恩を祀る祭

授与品

2月3日節分祭に授与される「茅の輪」は、蘇民将来の(備後國風土記に記される)古事にもとづいた悪疫退散、 厄災を免れると言われる。お札、お守り、絵馬
(須佐神社の朱印の授与は、8:30より16:00まで)

宿泊施設

食事処

交通アクセス

【バス】
JR出雲市駅前から一畑バス(約40分)「出雲須佐」下車、そこからタクシー5分(約2km)

【タクシー】
JR出雲市駅前から約30分

【車】
車で出雲市から30分。途中立久恵峡景勝地がある。尾道松江高速道の三刀屋木次ICから国道54号で南雲市掛合町経由30分

【駐車場情報】
約20台可能

須佐神社

〒693-0503 島根県出雲市佐田町須佐730

TEL:0853-84-0605

【参拝時間】9:00 – 17:00(上記以外の時間はお参りは出来ますが、職員の対応はありません。)

【ホームページ】http://www.susa-jinja.jp

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